「遅かったね〜。」
「ご免、PM6:00には来れる予定だったんだが、電車の乗り継ぎが悪くて…。」
特別病棟のエレーベーターの前に彼女は待っていた。
11月の冷え冷えした待合室で1時間も待っていたのか。
兵庫の駅名にもなっている大きな病院。白血病患者の病棟。
モデル兼歌手の仕事をしており、ようやくCDデビューをする直前に病魔に襲われた。
「突然やった。何回も死にかけてん。風邪を引いても、致命的だと言われ、ようやっと人会える様になった。」「生魚やお肉も駄目で、今やっと流動食。」「生きているって有り難いわ。病室の窓からでも季節は分かる。頑張るねん。頑張って新地でお寿司をお腹いっぱい食べる。私の曲が着メロになってな。アルバムの表紙の選択とか、結構忙しいんよ。お母さんも毎日来てくれるし、寂しいことはない…。」息をつぐ暇もなく喋り、終わりがない。
私は話を遮るように彼女の指を触る。
「細くなったな。大変だったんだね。」
抗がん剤の副作用で、髪の毛が抜け落ちた頭を毛糸の帽子で隠し、むくんでまん丸になった顔。
豊満だった胸もパジャマの下で小さく萎み、中学の少年のような風貌になっていた。
「それでな、その看護婦がな、・・・・・・」
約半年間の出来事全てを私に語ろうとしているのか、話に終わりがない。
一時間もすると私は耐え難くなり、
「そろそろ時間だから、他に約束もあるし、今日は失礼する。また来るよ。」
そそくさと、逃げるように帰ってしまった。
その後彼女は入退院を繰り返し、私は2度ほど見舞いに行き…次第に疎遠になっていった。
そして今日、彼女とは決して連絡が取れない状況になっている事がわかった。
MySpaceに彼女のサイトを見つけた。
彼女の曲、元気な頃の写真、病室からの風景、病室の鏡餅、そして最後に、坊主頭で子供のように小さくなった、浴衣姿の彼女の写真があった。.
それは、ほとんど誰も訪れることのないサイトのようだった。
辛かったら、何故連絡しなかったんだ!
何故、何故。。。
今はもう、何を言っても彼女には届かないのか。
2009年10月30日
大阪の友人
この記事へのコメント
コメントを書く